先日、本を買った。
あーあ……、買ってしまった。
この1年で、ちょこちょこ本を買っては、「直ぐ読もうと思いつつ、結果的には置いたままになる」積ん読(ツンドク)が増えている。
量として、そろそろ明らかに自覚する時が来たなと思わされるくらいである。
そろそろ新しい本を買うのは自重するべきであろう。
が、買ってしまった。
4冊も…!
いやあのね…(「ちょっと奥さん聞いてよ」風に話をすすめてみる)、本当は11冊くらい欲しい本があったの。なのでだいぶ頑張ったほう!
とは言うものの、書店に入る前には「買わないぞ」とSNSで投稿した後にこんなあり様。
いいんだもん。後悔しないんだもん。
さて、その時に買った4冊の本のうち、1冊が坂本龍一さんのエッセイだった。
「音楽は自由にする」という、自身初の自伝とのこと。
実はその本の「はじめに」でギュンと心わしづかみにされてしまったのである。
ピアニストになんてなると思っていなかったこと、子どものころ作文のテーマとして将来の夢を聞かれてもどうにも想像がつかなく、「ない」と書いた、などと綴ってあった。
そうそうそうそうそうそうなの。
本屋でたったまま本を開いてさらりと冒頭をよみながら(まあ本屋で寝そべってじっくりよむのも珍しいとは思うけど)、心の中のわたしが、ウンウンウンウンと頷いていた。
わたしも子どものころ、「夢」を作文のテーマに指定されたことがある。
「夢?想像つかない、そんなのないよ、なんでみんな書けるの?」と思っていた。
一緒だあああ。
ただ、わたしのほうは、「ない」と書かなかったんだけど。
いや、書けなかった、が正しいかもしれない。
「ない」と書いたら、「なくてもかけ」と言われそう、とか。
喧嘩を売ってると思われて(?)叱られそう、とか。
いろいろなことが頭をかけ巡り、最終的には「わたしにはまだ夢がありません。これから色んなことを経験して、自分の夢だと思えることに出会うことが夢です!」というようなことを書き綴ったはずだ。
わあ、なーんか、優等生。
たぶん、小学3~4年生のことだと思う。
わたしも「ない」って書いてやりたかったな。
実際にザ・優等生だったかはわからないけれど、授業や活動においては「これが望ましい」を行動に移す方だったし、先生に面倒な仕事は押し付けられるし、成績は常に良かったので、まあ、優等生の類であろう。
(休み時間や、きまりごとのない時間では、実際かなりおてんばで、自分の娘が自分だったらと思うとゾッとするけれど。)
もしわたしが自伝的なものを書くとき、ずっと闘わなくてはいけないテーマとして、優等生であろうとする自分から脱却しようとする過程や、罪悪感との決別についてがあると思う。
閑話休題。わたしは坂本さんの子ども時代に感じた作文のテーマに対する感想にいたく共感しつつ、「ない」などとはっきり回答することなどできないだろうな…と憧れにも似た気持ちを抱いた。共感するとともに、自分には決して選択することができなかっただろうシンプルな回答は、わたしの心をわしづかみにするのに十分だった。
ちなみに、この本、まだ読破していない!(大声で胸を張っていうことじゃないけど!)
またツンドクを増やさぬよう、PCのすぐ横にでも置いておかなくては。
最近本を買いすぎていて自重するはずだったのに、本屋に入ったらいつのまにか4冊も買うことにしていて、そのうちの1冊が坂本龍一さんのエッセイだったよ、なぜならね?という、長いながーい言い訳を最後まで読んだそこのあなた。
稀有な人ですね…。どうもありがとう。