どこかで誰かの大切な「サンプル1」になれるかも。
それだけでも無駄なことなんてない気がする。
本が好き
子どもの頃から本は大好き。
最初の頃の記憶は、幼稚園の本棚にある絵本をすべてよみ終わってもなお、繰り返しよんでいたこと。
何度も読んでは新しい発見があったし、身の置き所がないときにも本を読む行為は役立った。
小学2年生で小学校に図書室という素敵な場所があると知った時には感動。
絵本から、学園もの、推理小説、ファンタジー、社会科学もの、漫画、中高生向けヤングアダルトものへ…
図書館に行くことを禁じる、なんてなかなか聞かない。
思えば、だんだんと(小学校へあがると途端に)集団主義になる世界の中で、図書館はわたしにとって居場所でオアシスだったかも。
本との対話・出会い
今も昔も共通していることは、本と対話していること。
本との出会いを感じていること。
手に取って紙に印字された文字を読む。
デザインや装丁、紙質も違うし、文体も…
そして扱っているテーマが違う。
作品によって語り口も違う。
時代背景や全体の明るさ暗さも違う。
たしかに作者はいるけれど、著者と話しているのとは違う、「その本」との出会い、対話がある。
そのときには難しすぎる本、あるいはつまらない本の話は聞かなくていいし、気に入った本の声は、何度だって開けばいい。
本のどこかに自分と似た人物がいたり、同じような考えがあったり…
この世界にはわたしひとりではないと感じられる。繋がれる場所。
10代、図書館に行く余裕がないときには、国語の教科書や、現代文の教科書にある物語や哲学的考えを読んでいたような気がする。
誰かが書いたなにげない文章が、ほかの誰かにとって1つの知や体験になって忘れられない出会いにもなる、というのはいいなあと思う。
教科書で取り上げられる物語も、図書室の手に取りやすい所に置かれる本も…
その時々のもので変わっていくし、わたしが手に取るかどうか、夢中になるかどうかはその時までわからない。
それってすごく面白い。
どこかで誰かの「サンプル1」に。
ブログも、何かしらの文章が書かれている場所には違いない。
わたしは本の紙やインクのにおいが大好きだし、図書室や図書館という建物・部屋自体も好きなのだけれど…
許されるかぎり、いつでもどこでも何度でも読んでもいいというのは、ある程度、本と同じような出会いがあるかもしれない。
実際、今わたしはこうしたネット上の記事や、動画との出会いに感謝している。
わたしのような境遇の人はだれひとり居ないのかしら。
悲しくなったり怒ったり悩んだりしたとき…
「わかるなあ」「なるほど」と、心動かすものが、登場人物の何気ないセリフや、作者の言葉であることがある。
世界のどこかに、同じ、似たような考え、思いを抱いている人がいるのだと感じられることは、少なくともわたしにとってよりどころだった(いまも)。
このブログは、わたしの内側にあるものを、とにかく外へ外へとアウトプットすることが目的のひとつだけれど…
誰かの大切な「サンプル1」になり得るかもしれないな。
そう思ったら継続していけるかもしれない。
そんなところで、始めていきたい。
つれづれと。
できれば無理せず、ゆるゆると。